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マーケティングと心の仕組みを使って「みんな違って、みんないい」世界へ

感性が合わないとき

 

なんか違う・・・

 

心地よくない・・・場の感じが違う、流れている空気が違う、波長が合わない、エネルギーが合わない、水が合わない・・・

 

良い悪いではなく、ただ自分とは合わない感じ。

そんな、「自分とは違う」感覚の出来事が続きました。

 

 

以前の「ひたすら頑張る私」で生きているときは、そんな感覚にフタをして環境に自分を合わせることなんか、いともカンタンにやってのけてました。

 

が、本来の自分を取り戻しつつある「今の私」は、そんなことできないんですよ。。。

 

元々子供の頃から繊細で、人よりも感性が鋭かった。

ひとりで本を読んで空想の世界で遊ぶのが好き。

「子どもは外で元気に遊びなさい!」と言われて外に出たら、今度は道端に座って草花とお話して遊んじゃう・・・そんな子どもだったなあ。

 

そりゃあ親は心配するでしょう。

そんなんじゃ生きていけないって。

 

母親のそんな心配する気持ちも今なら理解できるし、

感性にフタをして生きてきて得たものもあるし、

過去が間違っていたとは思わない。

 

でも気づいてしまったら、もう元には戻れないんだよなあ。

だって、感性が合わない環境にいるって、窮屈だし違和感だらけだし、

 

なによりも

 

 

 

 

気持ち悪い・・・

 

 

 

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もう、無理。以上。

 

 

 

そして「ひたすら頑張る私」は、自分ではなく他人の顔色を伺って生きている「他人軸の私」でもあったので、

断る必要のあるときも、当たり障りのない理由を付けたりごまかしたり嘘をついたり。

 

 

感性が合わない出来事に、

「私には、合わない。」

「私は、好きじゃない。」

「私は、要らない。」

 

と、正直にハッキリと自分の気持ちを伝えて断っている自分が、今の私。

 

 

 

 

なんて、気持ちいい!

 

そして伝えたからといって、人間関係はこわれないし、

もしこわれたとしたらそれまでの関係だったということでしょうな。

 

 

 

感性が合わないとわかっていて、それでも受け入れるという選択をしたときは、

合わないことを尊重した上で、

 

 

この環境の中でどれだけ遊べるか、というノリで。

手持ちのカードで勝負する的な。

 

 

うん、これで行こう。

 

いろんな変化を感じる春です。