次の時代へ案内する

マーケティングと心の仕組みを使って「みんな違って、みんないい」世界へ

一神教から多神教へ

 

ハロウィンの飾り付けが街を彩る季節になりました。

私はこれといって特定の宗教や信仰は持っていなくて、

普通にご先祖さまのお墓参りをするし、神社にもお参りするし、クリスマスもそれなりに楽しむし、海外旅行で訪れたら教会やモスクにも足を運びお参り(?)するという、ごく平均的な日本人だと思います。

 

強いていえば「仏教徒」ということになるのでしょうが、そんな意識はほとんどないです。(^_^;)

そして何かの本で読んだのですが、キリスト教徒イスラム教徒の人たちから見ると、

「仏教って、宗教じゃなくて哲学でしょ。」

と、とらえる人が多いらしい。

 

そう言われても、知識のない私は、

「へー。そうなんだ。」

くらいの感覚しかないそんなレベルなのですが、

それでも最近は、宗教的な概念から来る時代の変化や時代の流れを、時々考えるようになりました。

 

キリスト教もイスラム教も、どちらも「絶対神」がいます。

「絶対」があるということは、「他」はダメ、「他」は間違いということになるわけで、それはやがて、

 

「絶対」が正義で、「他」は悪

 

という「白か黒か」「善か悪か」の「二元論」へとつながり、ここから「対立」の構図が生まれます。

 

歴史を見ると、十字軍もあらゆる戦争も、そしてテロも、最近ではタリバンによるアフガニスタン支配も、そして二大政党によるアメリカ大統領選挙も、全てこの「対立」の構図。

 

対立は争いを生み、争いは憎しみを生み、憎しみは怨恨となって仲間へ渡り、やがて次の世代へと連鎖する。

 

いったい人類はいつまで、この構図を続けるんでしょうね。

大元にあるのは、この「絶対」の概念、「二元論」という思考だと、そろそろ気づいてもいいのにな、なんて思います。

 

 

日本には八百万の神様がいて、それは「トイレ」にもいるし「貧乏」にもいますよね。

「万物に霊魂が宿る」と考える「アニミズム」が、日本を含めアジア圏には広くあり、そのせいかアジアを旅すると、その地域独自の精霊信仰があったりいろんな神様がいて、親しみが湧いたり馴染む感じがします。

 

モノを捨てるとき「今までありがとう」と手を合わせてから処分するのも、

日本の野球選手がバットやグローブを大切に扱い球場に入るとき一礼するのも、みんな共通の感覚。

この感覚を持っていることを、なぜか誇らしく思ったりします。

 

でもこれってアジアだけなの?キリスト教が登場する以前は?というと、

ギリシャ神話やローマ神話を見るとわかるように、やっぱり多神教だったんですよね。

わがままで子供っぽいキャラで描かれる神話の世界は、とても面白くて私は好きです。

 

「雄と雌」「男と女」しかあり得なかった価値観から「ジェンダーレス」へと進化してきたように、

時代の流れは「一神教」から「多神教」的な価値観へと刻々と移り変わってきている・・・そんな変化を感じています。

 

そしてまた、ここにも落とし穴があり、

「だから一神教はダメなんだ。多神教の方が平和だし絶対いいよ!」になってしまうと、

それこそ「こっちが正しい!」「一神教 vs 多神教」というまたも「対立」の構図に。

 

ここら辺、うっかり自分も陥りそうになるので、気をつけないとなぁ…というところです。

 

そう考えると、

仏教も神道もこだわりなく日常に取り入れて、特定の宗教と対立もせず、クリスマスもハロウィンも楽しんじゃって、「信仰は?」と問われたら「特にないでーす。」と答える日本人って、なんかいいなと思えるのです。

 

 

f:id:meg_m:20211019141555j:plain