刺さった。過去の記事が、今の自分にとてつもなく刺さる。
ナリさんは「心」の分野で影響力を発揮している1人。この転換期の時代に重要な役割のある人だなと、私も以前から注目している。当時も読んだかもしれないこれらの記事が、今頃になって刺さりまくっている…
(略)
悲劇のヒロインは
無自覚だからこそ尊いのだ。
私は
普通の人とは違い。
深い洞察と
思考があるので、
絶望できる。
絶望することで、
他の普通のやつらとの違いを
見せつけることができる。
絶望をやめてしまったら、
私はただの普通のそこらへんにいる
普通のやつになってしまう。
そんなのは許せない。
私が普通だなんて、認めたくない。
私は特別だ。
他の奴らとは違う。
苦悩し、絶望できる特別な存在だ。
馬鹿みたいに脳天気に、なにも考えずに、人生楽しんでるやつらと一緒にされたくない。
私は特別だ。
私は儚い。
だからこそ特別だ。
だから、
私は絶望する。
私は命をかけて、絶望する。
ただ、
今日の話は、誰にもバラす気はない。
絶望することで
私は生きがいを得ている。
(略)
ドラマチックに生きることも求め。
わざと自分に大きな課題を与える。
それを
乗り越えることで、
生きてる実感を得ようと
してしまう。
たしかに
絶望には、妙な魅力がある。
ただ、
自分が絶望する
必要はない。
絶望してる自分になって、
自分は特別だと証明しようと
しなくていい。
そんなことしなくても
あなたは特別だ。
だから、
普通の幸せを受け入れてほしい。
(終わり)
(※ナリ心理学オフィシャルブログより引用)
なぜこんなにも反応するのか、どこにこんなに刺さるのかわからないけれど、
涙が止まらない…
誰もが特別なんだから、
私もすでに特別なんだから、
もう絶望は要らないよ。
「ドラマチック症候群」も、もう卒業したい。
ドラマティックなんて、もう要らない。これ以上必要ない。
ドラマティックなのは、自分が創るストーリーや演じる物語の中だけでいい。
馬鹿みたいに脳天気に、なにも考えずに、人生楽しんでるやつらと、
私も一緒でいいし、同じでいい。
だから、
普通の幸せを受け入れていい。
子どもの頃に、あんなにも欲しくて欲しくて、
でもどんなに望んでも手に入らなくて、
欲しいという気持ちさえ封印した、
「普通の家庭」「普通の家族」を、
今は手に入れたのだから。
「普通の幸せ」を、受け入れていいんだよ。
気付いたら少しは変わるんだろうか?
それとも、枯れるほど泣いたら終わりにできるの?涙が浄化してくれる?
言葉にして人目にさらしたら、卒業できるんだろうか?
ナリさんも同じく
「絶望という魅力にやられてた一人」で、
「普通なんか嫌だ!!普通の人生はありえない!!」のドラマチック症候群だったそうで。
こういう人、実は多いのかもしれないね。
もっとラクにチャラ~く、幸せになっちゃっていいらしい。