「勘違い」してることって、たくさんありますよね。
このブログでよく登場するビリーフ(自己否定の思い込み=勘違い)もそのひとつ。
大人になるまで、というか最近まで私が勘違いしていたのが、
自己満足はいけない
です。
でもこれ、勘違いしている人ってけっこう多いのでは?
辞書等で調べてもネガティブな意味が目立ちますし、「単に自己満足じゃないの?」みたいな言われ方もよくあります。
「利己」主義はダメ
と子どもの頃から教えられ、自分勝手にならないようにわがままを言わないようにと、自分を抑えたり我慢したり、
自分を犠牲にして他者のために貢献することが尊いような、そんな思いで生きてきた人、たぶん多いと思います。
日本では、「個」よりも「集団の和」を大事にする傾向が昔からあるので、その影響も大きいのではないでしょうか。(そのこと自体は素晴らしいことだと思います)
でも、溺れている人を助けることができるのは、泳ぎが得意でライフジャケット(救命胴衣)を着ている人だから。
自分が溺れそうな(満たされていない)状態で他者を助けたり貢献するのは、共倒れになるだけで無理ですよね。一緒に溺れてしまう。
先に自分を満足させること、それから他者へ。
大人になっていろんな経験をして、ようやく私はそれが腑に落ちました。
そしたら、「法則」としてちゃんと名称まであったとは!(だったら、子どもの頃に教えてほしいよ〜)
↑ 「イラストAC」 “uatelier”さんのイラスト。とてもわかりやすいですね。
自分が満たされて初めて、家族やパートナーに優しくなれる。
そして満たされた家族がそれぞれの友人や職場へ優しさや愛を送り、さらに周囲へ。やがて地域社会、国レベル地球レベルへと流れていく。
自分を蔑ろにして誰かのために尽くしても、それは見返りを求めることになったり疲弊するだけで、継続できないからやがて破綻しますよね。
満たすのはまず「自分」から。「利他」はその後で。
「自己満足」は世界平和への最初の一歩、ですね。
大げさではなくそう思います。
また、以前にSNSで見つけたのですが、「慈しみの心の注ぎ方」という言葉でカレー坊主さんが表現してくださっています。↓
まずは自分。慈しみや愛は、まず自分のコップに注ぎたい。溢れ出た慈しみを少しずつ知人や大切な人、世界にひろげていくイメージ。逆になると、自分が空で浮いてしまう。まず、自分。 pic.twitter.com/xZmopqxRLh
— カレー坊主 (@curry_boz) 2021年2月28日
シャンパンタワーと同じですが、なんとなく私はこっちの表現の方が好きだなあ。
(*^_^*)
「法則」シリーズはこちら ↓