あんな風になりたい。
憧れの人…誰しもいますよね。
「憧れの存在」というのは、そのまま自分自身の姿でもあります。
こちら ↓ でも書いていますが、本来の自分の姿を相手に「投影」して見ているのです。
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同じ人、同じ対象であっても、
◎どの部分、どの要素に惹かれるのか、
◎その人の何を素敵だと思うのか、
それは人によって全然違います。
自分の中に持っているタネに触れて、
「いいな」「素敵!」「私もあんな風になりたい」
と反応する・・・
そして、「憧れの存在」から自分を見つけようとするとき、
受け取れる要素と受け取れない要素があります。
「そうよね、この部分は確かに自分だよね」
と素直に受け取れる要素は、すでに自分の「在り方」になっています。
でも、畏れ多くてとてもじゃないが受け取れない、というところ。
「投影」は理解できるけど、この部分を受け取るなんて怖すぎる、というところ。
そこは、まだ自分の「在り方」としては実現していない部分なんですね。
なぜ受け取れないのか、その理由は人によって様々なのでしょうが、
自分が本来の力、本来の輝きを発揮することに、許可が出せない・・・
そんな自分を許せない・・・
怖れなのか罪悪感なのか、よくわからないけれど、
クリスマスイブの今夜は、なぜかそんな気持ちが湧いてきました。
人は、誰もが「幸せになる」「力を発揮する」ことを一番怖れているそうです。
もうそろそろ、誰もが、そんな自分を「許しても」いいんじゃないか。
謎にそんな気がした、今年のイブ。
メリークリスマス。