生まれ持っての能力(才能)と、後から身につけた能力。
どちらの方が大事なのか、というお話です。
結論から言うと、どちらも大事、なのですが、
それぞれに特徴というか「役割」のようなものがあるんですね。
先天的な能力は「才能」とも呼ばれるもので、私もセッションの中で特に意識して探っています。
まるで呼吸するみたいに簡単に当たり前に出来てしまう、でも他人には難しい、そんな能力。
当たり前すぎて、自分ではなかなか気付けません。ほめられても「別に、普通でしょ?」って思っちゃうんです。だってデフォルトだから。
そして、「才能」は「アイデンティティ」に直結した能力なので、その力を使うとパフォーマンスが上がります。
自覚することでその力は更に磨かれていきます。なので、ぜひあなたも見つけてくださいね。
「才能」を見つける方法はこちら ↓
(※外部サイトに飛びます)
それに対して、後天的に身に付けた能力は、自覚しやすいです。
これまで努力してきた、頑張ってきた、一生懸命に学んで実践して自分のものにしてきた、そんな自負もあるのですごくわかりやすいんですね。
そしてこれらの「能力」には「深度」があり、
先天的なものほど深く、後天的なものは浅い領域にあります。
深ければ深いほど、その人の「存在」「アイデンティティ」に直結するので、
その人ならでは、その人にしかできない、という「才能」になります。
逆に浅い領域にあるということは、他にもその能力を持っている人、得意な人は大勢いますよということになり、
だからこそ、深い領域の、自分ならではの能力「才能」が大事になってくるんですね。
で、このように書くと、
なんだか頑張ってきた経験が無駄なことに思えたり、
努力して培った能力は、必要ないんじゃないか?
なんて思ってしまうかもしれないのですが、そこにそれぞれの「役割」の違いが表れます。
◎深い、先天的なもの:人に教えられない
◎浅い、後天的なもの:人に教えたり伝えたりできる
生まれ持った才能、小さい頃から得意なことって、人には教えられないんです。
だって、当たり前にできてしまうから。
なぜ出来ないのか理解できないし、出来ない人の気持ちもわからないから。
ずっと勉強が得意で努力せずに東大とか合格した人が、家庭教師や塾の先生に不向きなのと同じです。
後天的な能力、学んで努力して身に付けたもの。
たぶんそこには、それに出会うだけの必然があったのでしょう。
その人だからこそ他者に伝えられる、そんな存在として生きる必然があったから、
元々得意ではないのに何故か頑張ることができたのではないか、そんな気がします。
浅い領域から深い領域まで、能力のどれを使うのか、その数や種類や組み合わせによってその人が出来上がり、その人の色となって表れ、またその人オリジナルになるんですね。
人間って、本当に面白くって興味が尽きません。
(*^_^*)