「怒り」の感情が苦手な人って多いと思います。
私もそのひとりで、怒りを受けるのはもちろんですが、怒りを出すのも苦手。
人には「得意な感情」と「苦手な感情」があるらしく、私は「悲しみ」「哀しみ」「痛み」なんかはまあまあ得意です。
じんわりと受け止め、泣いたりその感情と一緒に時間を過ごし、ゆっくり日常に戻るというのがいつものパターンです。
ただあまりにも時間がかかりすぎだり、何回もぶり返す痛みや「もやもや感」「ザワザワ感」は、ちょっと要注意かも?と思うようになりました。
どんなに寄り添ってその感情を感じ切ろうとしても、なんかスッキリしないとか、
忘れていたのに些細なきっかけでぶり返して傷口がチクチクする・・・というのは、もしかしたら「悲しくて痛い」のではなく、
本当は「怒っている!」
かもしれないから。
特に違和感を残したまま折り合いをつけたり、
物わかりの良い人を装って大人の対応をしたり、
自分が悪かったことにしてその場を収めたりすると、
後味の悪さ(未完了の感情)は胸の辺りにどんよりしたシコリを残していきます。
もしかして、本当は私、怒ってたのかも?
はあ?・・・おかしいだろ、人のせいにすんな!
って、言いたかったのかも知れない。
あ~~~、今頃になって・・・気付いてしまった。
そう考えると、あの出来事も少し前のあれも、
もっとさかのぼって子ども時代のあのことも、
「悲しかった」ではなく、本当は、
「めちゃくちゃ怒っていた!!!!!」
それも自分が思っている以上に。
そして気付いてしまったら、なんだかつかえが取れるような、ほっとしたような、何かが流れていくような、そんな感覚もあります。
多くの場合、「怒り」は本音(悲しいとか寂しいとか)を隠すための「二次感情」なのですが、
私みたいな「悲しみ、得意だよ~」人間は、更にその「怒り」を隠すために、ダミーの感情(別の悲しみやらモヤモヤやら)を乗っけて蓋をしてしまう・・・
ということを、やっちゃうんですね。
散々、学んだのに・・・まだやっちゃうんだな。
そして、こういう人、けっこういるのでは?
アンガーマネジメントじゃなくて、「怒る練習」が必要かも知れません。