自己探求にはワナがあるなあと、最近つくづく思います。
心の仕組みについて学んだり、自分と向き合ったり過去のトラウマを癒すなど、自己探求が進むと、人はとてもラクになって自由になります。
穏やかに日々を過ごせるようになるし、人間関係の悩みも激減するし、日常の中に幸せを感じるようになるのでいいことだらけ……ではあるのですが……
この穏やかな状態(別名:更地と呼びます)には特有の空気感があり、ぬるま湯に浸かっているような心地良さがあるゆえ、
◎なかなか出られない(出たくない)
◎前に進めない(進みたくない)
◎なぜか動けない(動きたくない)
という「このままでいいじゃん、平穏なんだから」の状態で停滞する感じになります。どうも多くの人が陥るパターンのようです。(私もだ)
そうなると人は、その状態を肯定するべく(前に進まなくていいように)、
新たな課題をわざわざ探したり、更に自分を深堀りしたり、「もっと学ばなくっちゃ!」と勉強に精を出したり……
と、必要以上に学んだり問題解決したり、親子関係に取り組んだり……。
みんな真面目だしね、自己探求好きな人って。(私もだ)
自己探求が楽しくて好きでやっている状態と、進まない口実にするためにやっている状態。
この違い、たぶん本人にはわかるはず。
好きでやっている人は、ワクワク感や成長しているような感覚があるけど、
進まない口実のためにやっている人は、もわぁ~っとした停滞感と共に「なんか違う」を感じているはずです。(私もそうでした)
そんな停滞感を打開する良い方法が、
「遊ぶ」
なんだろうなあと、最近強く思うようになりました。
で、ここでまた「遊ぶ」ことにブレーキがかかる人も多くて(私もだ)
「遊ぶ」ことに罪悪感があったりして、
「遊ぶ」に、お金と時間を使えない
「学ぶ」には使えるのに
という状態、これもなんだか多いパターンだなあと、自分と周囲を観察していて思います。
親(特に母親)があまり遊んでいなかったケースが多そうだな…(私もだ)
昨年から、「遊ぶ」ことにお金と時間を使う…というのにチャレンジ中。はい、人体実験ですね……
私にとって「遊ぶ」って、無駄なこと、役に立たないこと、誰の貢献にもならないこと。でも自分が喜ぶこと。
ひと通り「遊び切る」と、熱が巡る身体になって自然に動けるようになる……と、
山口由起子さんから「資質まるごと発掘講座」で聞いたのを思い出し、
2020年は、遊ぶぞ!
と決めた私です。
今年もよろしくお願いします。
(*^_^*)