演劇ワークショップで先生から何度も出てきた「反応」という言葉。
私だけでなく共演したみんなが何度も指摘され、その難しさを体感した「反応する」ということ。
台詞を言う、というのは相手に言葉を投げかけ相手を「反応」させることで、
また相手から投げられた台詞を受け取ることで自分も「反応」する、
そして演劇はその連続で完成する。
当たり前のように聞こえるけど、
これは本当に難しい。
実際、30年前の私は全く出来ていなかった。(意味もわかってなかったな)
そしてこの「反応する」こそが、コミュニケーションの最初の一歩なんだなと、
50年以上も人間をやってきて、今頃になって理解できた。
そんなことを感じていたら、
何気ない会話の中で友人二人から指摘されて気がついた。
日常生活の中で(特にSNSなど)、
反応しないと(相手が)可哀想・・・という気持ちがある、と。
そうだ、そういうときが確かにある。
「好き!」でも「共感」でも「応援したい!」でもなく、
「反応してあげないと、なんか可哀想・・・」
(# ゚Д゚)
やばい…
これは、自分自身の「投影」だ。
潜在的な自分の姿を相手に「投影」して見ている。
心の仕組み、その基本中の基本。
反応してもらえない可哀想な自分の姿を見たくない、
だから私は、反応している。
うわ~!また気づいてしまった・・・(>_<)
「反応してもらえない」ということは、
無視されている、いないのと同じ。
子どもの頃、父親に「いないことにされた」のが、
まだ傷のまま残っているんだな・・・
そうかそうか・・・まだ癒えていなかったんだね、
もう大丈夫だよ、
と、心の奥底にいる小さな「わたし」に声をかけてあげよう。
私はいつでも「わたし」と一緒にいるからね。
まだまだ、いろいろ出てくるなあ。
探求は続く。