心の探究を始める前は、自分の中にたくさんの「~~してはいけない」「~~しなければいけない」の思い込み(ビリーフ)があって、
それをしてしまったら大変なことになってしまう・・・
それをしなかったら生きていけない・・・
だって、世界は危険なところだから
だからそうならないために、
頑張って、役に立って、嫌われないように良い人でいて、良い人でい続けて、
そうすれば生きていける、ここにいられる、ここにいていい
そんな、役に立つ自分でいなければ・・・というときのエンジンは「怖れエンジン」
「怖れ」を燃料にして自分を動かしていた。
それから自分の心と向き合って、
たくさん持っていた思い込み(ビリーフ)を少しずつ外していって、
自分が緩んでいって、
あー、世界は危険なところではないかもしれないなあ・・・
と、世界観まで切り替わったら、
もう「怖れエンジン」はすっかり錆び付いて使い物にならなくて、
以前と同じような生き方はできなくなっていた。
私の場合は潰瘍性大腸炎を発症して身体にもろに出てしまったから、
錆び付くより前に、もうエンジンはプシューッと煙を吐いて壊れてしまっていたのかも。
思い込みを手放して自分にも世界にも安心感が満ちてくると、
ゆったり穏やかな日々が訪れる。
平和で穏やかで淡々と過ぎていく日常。
こんなに静かな日々があったんだなあと、ささやかな日常の幸せを感じながら過ごす。
よく「更地になる」とか「間の時期」とか呼ばれるけれど、
これはほとんどの人に共通のプロセスみたい。
私もまさに、今ここ。
身体に目を向けるようになって、エクササイズや整体で整えたり、
食生活にも意識がいって、身体全体をメンテナンスしているような毎日。
「更地」「間の時期」って、穏やかだし平和だし安全だけど、なんか違うような・・・
でもあまりに居心地が良いので、なんというか「ぬるま湯」に浸かっているみたいで、出られなくなるような感じ。
いや、出られなくなる、というより
「出たくない」
が、本音かも。
せっかくの安全の場を得たんだから、もうこのままでいいじゃない。
もう十分、心は幸せなんだから。
でも、何か物足りない、
やりたいことはいろいろあるはずなのに、どうして動けないんだろう・・・
そんなことをずっと考えながら過ごしてきたら、
あ、エンジンが変わったからだ。
と、ふと腑に落ちた。
新しいエンジンが、まだ動いてないんだ。
新しいエンジンは、「喜びエンジン」
まだこのエンジンの使い方に慣れてないんだ。
いや、それだけじゃなく、
燃料、入れないと動かないよな。
ワクワクすることや、時間も忘れるくらい大好きなことをやるといいってよく言われるけど、
やっと意味がわかった。
ワクワクとか自分の喜びって、燃料なんだ。
頭でわかっていたことが腑に落ちる瞬間って、不意に訪れる。
で、次は、
「私の喜び、心の奥底からの願いって、なんだろう?」
ほんとうは知っているけど、気づかないふりをしているのかもしれない。
どうする、私?