久しぶりの更新です。
1ヶ月以上あいてしまいました。
2月の頭に、母が天国へ旅立ちました。
95歳で老衰、というなかなか真似のできない最期。
苦しむことなく、眠るようにすっと逝ったそうです。
旅立つその瞬間には間に合わなかったけれど、
昨年の秋頃、まだ意識のはっきりしている母に、
「育ててくれてありがとう、私のお母さんになってくれてありがとう」
と言えたので、後悔はほとんどありません。
身体が弱くてしょっちゅう病気にかかる私を、いつも心配していた母。
空想好きで消極的でひとりで遊ぶことが好きな私を、いつも心配していた母。
母の理想は『明るくて元気いっぱいに外で遊ぶ、強くて天真爛漫な子ども』だったようで、まるで正反対の私は「この子は将来大丈夫なんだろうか?」と心配でしかなかったみたいです。
過保護なまでに『心配』されてきたので、
「こんなに心配ばかりかける自分は、ダメな人間なんだ」
と、私は幼い心に刻んでしまったんですね。
「あと何と何が出来るようになったら、母は認めてくれるんだろうか?」
『母の信頼を勝ち取るにはどうしたらいいか』が、常に頭の中に大きく存在していました。それは大人になっても、結婚して離れて暮らすようになっても。
親子のコミュニケーションをキャッチボールに例えると、
私が受け取った母からのボールには、いつも『心配』の文字が書かれていて、
その『心配』のボールは『愛情』という成分でできているのに、
子どもには成分なんか見抜けないから『心配』だけを受け取ってしまう。
「自分はダメな人間だ」という誤解は、たぶんこうして生まれたんでしょう。
私を産んでくれた母は出産で命を落としてしまい、父とは疎遠になったので、
育ててくれたこの母が私にとっては最後の砦。
迷惑をかけないように、困らせないように、怒らせないように、
でないと私は独りぼっちになってしまう・・・
そんな怖れがいつもつきまとい、反抗期もないまま大人になり、
そのせいか40代過ぎてからいろいろメンタルの不調があったけど、
「自分はダメな人間だ」も
「私はどうせ愛されてない」も
全部勘違いだったんだと、
母が生きているうちに誤解が解けて「ありがとう」が言えて良かった。
今度生まれてくるときは、産んでくれた母と親子になりたいけど、
育ててくれた母も近いところで、できれば家族でまた一緒に生きたいねと、
そんな気持ちで見送りました。
2月の私の誕生日は、大混乱の中で過ぎていき、気づけば春の嵐が。
誤解が解けて素に戻って、初めての春を迎えます。