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「日本で一番ゆる~いマーケティング × 心の仕組み」管理人のブログ

本当は・・・会いたい・・・

 

前回の続き、です。

 

ようやく外に出てきた「小さなわたし」の気持ち。

子どもの頃、感じないようにフタをして、「無いことにした」感情でした。

 

閉じ込められていた「感情」は、本人が気づいてあげればそれで完了することも多いのですが、今回はそう簡単にはいきませんでした。

 

「どうして言わないんだ!」という怒りと、

「そうやっていつも良い子ぶってるんだよね」という、拗ね。

 

 周りに対して本音を言わないと、「小さなわたし」は満たされないんだ・・・

 

 

自分の本音を外に出すのは、本当にこわい。

親子関係のことだけでなく、私は日常的にも、できれば本音は言わなくて済むように、いつも避けてきました。

 

もし対立してしまったら?

困らせてしまったら?

傷つけてしまったら?

 

私は嫌われてしまう

嫌われて孤立してしまう

そしたら、ここにいられなくなる

 

そんな怖いことになるくらいなら、黙っていよう

そうすれば安心、安全でいられる

 

それが、幼い私が身につけた「生きていくための戦略」であり、信念(ビリーフ)となって、大人になった今でもプログラムとして動いています。

 

そんな私自身に対して、「小さなわたし」は、

「言っても大丈夫だよ、嫌われないよ」と勇気づけてくれました。

 

  

これらのやりとりは、「エンプティチェア」という空の椅子を使った心理ワークで繰り広げられたものです。

なんの変哲もないただの椅子なのに、なぜかそこに座ると勝手に感情が出てくるという不思議な心理ワーク。

 

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そしてカウンセラーは、同期のTちゃんから師匠のあやさんへと交代。

「ひとりでは無理なら、誰かと一緒に本音を言ってみましょうか。」

 

 私が一緒にいてほしいのは、夫や家族です。

でもいくら家族が一緒でも、安心できない、不安はかえって増すばかり。

 

生まれてすぐ母親を失った私には、

「身近な人はいなくなるものだ、自分よりも先に逝ってしまうかもしれない」

という不安が常につきまとっていて、

 

それはそのまま

「この世界は危険なところ」

という、私の世界観にもなっています。

 

 

そういえば10年ほど前にカウンセリングを受けたとき、

「これからの人生は全て思い通り、願いは何でも叶うとしたら、何がしたい?何がほしい?」という質問に、

 

「世界一周旅行!」でも

「大金持ち」でも

「遊んで暮らす」でもなく、

 

「絶対に危険な目に遭わない、平穏に一生を過ごせるという、神様の『保証書』がほしいです。」

と、私は答えたのでした。

 

  

「肉体がなくなっても変わらないもの、いつも思えばそこに在る、一緒にいるものって、なんですか。」

あやさんの静かな問いかけに、次第に浮かんできたもの、それは、

 

亡くなった母でした。

 

母のことは記憶にないだけでなく、ほとんど考えようともしなかったけど、

私にとって絶対的で不変なもの、それは「母の存在」

 

同期の仲間の中から、なんとなく面影の似ているHさんに隣に来てもらい、

「ずっと、いるよ」

と声をかけてもらったら、涙が止まらなくなり・・・

 

  

お母さん、会いたかった・・・やっと会えた

いつも見守っていてくれたんだね

 

  

客観的に考えたら、当然の感情かもしれませんが、

感じないように、向き合わなくて済むように、ずっと封印していたんですね。

  

 

 「ではあらためて封印してきた気持ち、『嫌だ』と『ほしい』を、誰かに伝えましょうか。」

そううながされて、再び、空の椅子に目を向けてみました。

  

誰に、何を言いたいんだろう?

お母さんとはつながった気がする・・・

他に、誰かいる?

 

 

 

弟だ・・・

 

 

 一度も会ったことのない、それでも半分血のつながっている存在

一生会うことはないと思っているけど、それでもどこかで会えることを望んでいるような

 

会いたいという気持ちさえ、本当は認めたくない、認めたら“負け”じゃないか、

 

でもそう思えば思うほど、その存在が私の中で大きくなってくる

気になって、facebookで探したこともある

 

 そんな複雑な思い、悔しかった気持ち、本当は会って話してみたいということを言葉にして伝えてみると・・・

  

いつの間にか、胸の辺りにあったぎゅうぎゅうの詰まりが消えて、呼吸が深くなっていることに気がつきました。

 

怒って拗ねていた「小さなわたし」は、「うふふ」と無邪気に笑う子どもに戻り、

同時に「世界は危険ではないかも」と、世界観まで書き換わった瞬間でした。

 

 

 

 まるで、子どもの頃にやり残した宿題を今になってやっているような。

人間って心の生き物なんだなと、最近よくそう思います。

 

 

 ここまで読んで下さった方、こんな超個人的な内容におつきあい下さりありがとうございます。

 

「最も個人的なことは、最も普遍的である」

という言葉があるように、もしかしたら誰かに何かが届くのかもしれません。

届くといいな、と思っています。