「とりあえず、始めちゃえ!」
このブログのことです。
タイトルも体裁もなんにも決めてないまま、
スタートすることに。
そのうちぴったりのタイトルが見つかったらそれにすればいいし、
画像とかレイアウトとか、ま、やりながらでいいか・・・
とりあえずつけたタイトルも、まあ、(仮)って感じです。(^_^;)
こんなテキトーさで始めてしまいましたが、
実は、これ、私にとってはびっくりするほどの変化。
いつも、そうでした。
目的や最終形、着地点を決めて、
それをやる意味とか意義とか、
役に立つからとかなんとか、やたらと理由を並べて、
他の人にも「いいんじゃない」と言ってもらえそうなら初めてGoサインが出て、やっと動く。
ゴールが見えないと動けない
そんな人間だったんです。(あ、今でもまだある)
だから何か思いついても、考えるだけ。言ってみるだけ。
口先だけの頭でっかち人間でした。(です)
どうしてゴールが見えないと動けないのか?
たぶん、どっちに転ぶか見えてない状態で進むのが怖いんだろうな、と思います。
頭では「転んだり、失敗するのも大事な経験だ」なんて思っていても、
心の奥底(無意識、潜在意識)では、
「そんな怖いこと、ムリムリ!」と思っていたんでしょうね。
そういえば私、小説を読むとき、最後のページを先に見てしまいます。
(推理小説でも)
ラストはどんな終わり方なのか?
どんなシチュエーションで締めるのか?
最後は希望を持って終われるのか?(ここが一番重要かも?)
そこがわかっていたなら安心。
安心して読み進めていい、という感覚があって、
途中経過を単純に楽しめないんですね。
これ、誰に聞いても、
「はあ?」
と言われます。
「そうそう!自分も最後、確認するよ!」
なーんていう人、私以外には知りません。(今のところ)
さて、推理小説のラストを先に見るかどうかは置いといて、
ゴールが見えないと動けない
これって、けっこういるんじゃないかな~、と思うんです。
「本当はやった方がいい」「やらなきゃ!」
って思っているのに、なぜか・・・、どうしても・・・、できない。
身体が動かない。
私の場合は「怖いから」だったけど
完璧でなければいけないから
中途半端なら、やらない方がいいから
まだこんなレベルでは恥ずかしいから
など、理由は人によって違うと思いますが、
「行動できない」のは共通ですよね。
それって、
「行動できない」のではなく、
「行動しない」を、無意識で選択しているのかもしれません。
なぜかって?
その方が都合が良いから、です。
「そんなことない!本当にやりたいのに、動けなくて困っているんです。」
という人もいると思います。
そんなあなたは、
「なぜ?」
と、自分に質問を投げてみるといいと思います。
なぜ、完璧でなければいけないのか?
なぜ、中途半端ではダメなのか?
なぜ、こんなレベルでは恥ずかしいと思ってしまうのか?
たぶんあなたは
「だって、そうでしょう!」
と、反応すると思いますが、
それも「あなただけの反応」だったりします。
完璧も中途半端もこんなレベルも、すべて単なる「あなたの基準」ですよね。
他の人から見たら、実はすっごいレベルだったりして。(*^_^*)
「理屈はそうかもしれないけど、やっぱりそんな楽観的に考えられない。」
というあなたは、
完璧にできなければ、自分はどうなってしまいそうなのか?
中途半端なままやってしまったら、自分はどうなってしまいそうなのか?
こんなレベルのまま動いてしまったら、自分はどうなってしまいそうなのか?
を、想像してみてくださいね。
(ちょっと怖いけど)
そこに、あなたが「行動しない」を選択している理由が、隠れている可能性があります。
そして「どうなってしまいそうなのか?」が見つかったら、
「それ、ホント?」
と、自分にツッコミを入れてみてくださいね。
私もそこを自分に問いかけ、深掘りしていきました。
たくさんの
「~~しなければいけない」
「~~するべきだ」
「~~してはいけない」
という思い込みを、
ひとつひとつ、すくい上げて
「~~してもしなくても、どちらでもいい」
に置き換えていきました。
今もまだまだ、その途中。
言葉で表現すると簡単ですが、
これらの思い込み(『ビリーフ』と呼ばれます)は、心の奥深く(潜在意識)に潜んでいて、
「信念」となって自分自身を作っているので、自分では気がつきません。
気づいて取り除こうとすると、
場合によっては、身を切るような苦しさも。
40歳を過ぎたあたりから、私は何度も“うつ”に襲われ、
その都度寝込んでは家族に心配をかけ・・・というのを繰り返してきました。
そうやって、ひとつひとつ「どちらでもいい」を増やしていきました。
そして、あるとき気づいたら、
「とりあえず、始めちゃえ!」
という自分がいました。
先が見えなくても、
ゴールが決まっていなくても、
中途半端でも、
やっちゃっていいんだな・・・
「~~してもしなくても、どちらでもいい」
って、こんなにラクなんだな。
と、思えるようになりました。
もうそろそろ私、推理小説を読むとき、ラストは見なくても大丈夫かもしれません。