この人のために貢献したい
この人が喜んでくれることが、自分の喜び(燃料)になる
そんな人が、
「あなたがいいんです!」と言って
「お客様」「クライアント」になってくれたなら、
毎日の仕事はどんなに楽しくて、やりがいのあるものになるでしょうか。
それは労働ではなく、ライフワークと呼べるのかもしれない。
仕事とプライベートの境界が限りなく消え、
働くのも遊ぶのも学ぶのも、全てが自分の栄養になり、実ったものをまた誰かに還元する、そんな生き方。
それって、ただの理想でしょうか?
限られた才能豊かな人だけのものなんでしょうか?
私は、「次の時代」は誰もがそんな生き方のできる、
「分かち合いの時代」「循環型の時代」になると信じています。
そして、信じるも何も、すでに始まっているんですよね。
なぜ、すでに始まっていると言えるのか、
それは、2000年辺りからいろんな業界でその傾向が表れてきていて、
従来の「垂直統合」から「水平分業」のシステムへと、移行する組織が徐々に増えているから。
組織だけでなく個人でも、
「自分ができることを他者へあげる、できないことを他者に頼る」生き方の人が増えているから。
実際に私の周りでも、そんな生き方にシフトした人が増えてきています。
「相手が見つかったら」の記事で紹介した、ペットの似顔絵や肖像画を手がける「りこにっく」さん。
彼女もそんな生き方にシフトした人、と言えるでしょう。
↑ 彼女の場合は、
◎「この人に貢献したい!」という相手がはっきりとわかっていること
◎自分の世界観を、臆することなく全開で表現できていること
が、シフトするための重要な要素だったと思います。
ただひとつ足りなかった(できていなかった)のが、
ほしい人に届けるための仕組み=マーケティングの理解、だったとも思うのです。
具体的に「相手はこんな人!」と想定するのって、本当に本当に難しいし、決めるのは怖いんです。(経験した人ならわかるはず)
それを、その大変な難しいところを、彼女はボンビーガール時代にすでにクリアできていたんです。
ただ、その後のプロセスを、仕組みを知らなかった・・・
もし、メディアに取り上げてもらう、という幸運な機会がなかったら・・・
想定した相手に認知してもらうという、最初の段階を越えられなかったら・・・
家賃も払えなくなって、夢を諦めたかもしれない、
自分には無理だと、もう絵を描くのをやめてしまったかもしれない、
そうなったら、たくさんのお客様の喜びもなかったし、
ペットロスから抜け出せずに新しい動物との出会いを諦めてしまう人が、数多くいたかもしれません。
そんな・・・・・・
そんなの、
もったいない、じゃないですかっ!
「マーケティング」ってビジネス用語なので、
「ビジネス」に興味のない人や、「ビジネス」をしていてもちょっと近寄りたくない人もいますよね。私もそうでした。
最初は、市場調査のことかと思ったし、
何となく「お金儲けのための仕組み」じゃないかと思ったりしてました。
「お金」については、メンタル面の問題(お金のブロックとか、ビリーフとかいろいろ)も絡んでくるのでここでは深く触れませんが、
もし、「ビジネス」という言葉に何となく嫌悪感を持っていたなら、
一度ご自身で「ビジネスの定義」を考えてみるのをおすすめします。
自分自身の言葉で、これだ!という定義づけができたら、
その嫌悪感は消えるかもしれません。
ちなみに、私のビジネスの定義は、
「自分の喜びとお金を同時に循環させる」です。
今はこの定義、この言葉が、一番しっくりきています。
またしても、いちいち定義づけ・・・やっぱ、エニアグラム:タイプ5だな、私。