マーケティングと心理と建築と

マーケティングと心理カウンセリングを学んでいます。建築にどう活かすか、研究中。

魔法が解けた日

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「あれ?今まで私、何してたんだろう・・・?」

 

まるでおとぎ話の中で姫が眠りから覚めたような、

呪いが解けて世界に彩りが戻ったような、

そんな感覚を味わった日。

 

 

大好きなアーティストのライブ。

感激して胸がいっぱいで、身体中が喜びにあふれて、全身の細胞が活性化するような感覚。

 

大げさだけど「今ここに生きている」ことで幸せを感じられた日。

 

 

帰宅してからもその感覚は続き、

身につけていた服やアクセサリー、持っていった水筒にまで

「楽しかったね、また行こうね♪」

と声をかけてしまうほど愛おしく感じられる。

 

こんなに満たされたのは久しぶり。

その前はいつだっけ?

 

そうだ、2年前に、台湾へ一人旅をしたとき。

計画しているときも実際に現地に滞在している間も、

そして帰国しても、スーツケースや旅行グッズを片付けながら

「楽しかったね、また一緒に行こうね」と、ずっとワクワクして満たされていたなあ。

 

でもそのときは嬉しかったのと同時に、ものすごく怖かった。

自分だけ楽しむなんて、なんだかバチがあたるような気がして、

 

飛行機が落ちるんじゃないか?(絶対、落ちるよ)

現地でトラブルに巻き込まれるんじゃないか?(絶対、何かあるよ)

帰って来れないんじゃないか?(これで人生、終わるよ)

 

そんな思いが旅先でもずっとつきまとっていた。

遊びに行くだけなのに、まるでバンジーを飛ぶような覚悟で出かけたんだった・・・

 

 

 

じゃあ、その前は?

その前、これほどワクワクして幸せを味わったのはいつだっけ?

 

 

記憶をさかのぼってみるけど、思い出せない・・・

でも過去には今回と同じように、ライブに行ったり旅行したりという日々が確かにあった。

 

いつの間に私は、遊んだり楽しむことをやめてしまったんだろう?

 

 

たぶん、認知症がひどくなってきた母が老人ホームに入居してからだ。

正確には、私が入居させた。

本人は嫌がっていたし「放り込まれた」と言ってたから。

 

罪悪感でいっぱいだった。

本当なら私がきちんと面倒をみたり介護をするべきなのに・・・

母が私のことを引き取ってくれなかったら、私は施設に預けられていたかもしれないのに・・・

 

それなのに、私が母を施設に預けてしまった。

なんて罰当たりな、なんて親不孝な。

 

そんな気持ちを「私には私の生活があるから」「介護はプロに頼むのがいいよ」

とごまかしてきた。

 

 

老人ホームの方々には本当にお世話になり、日常の介護をしてくださるスタッフさんたちにはいつも頭の下がる思いだった。

 

結果的にはそれで良かったし後悔もないけど、

それ以来、私は「楽しむこと」を自分に禁止してしまったんだろう。

 

 

 健全に自立できていないと、大人になっても母娘の人生が絡んだままになる。

 

「お母さんが幸せじゃないのに、私が幸せになんかなれない、なってはいけない」

 

それは自分で自分にかけた魔法のようなもの。

 

 

だからライブのチケットをとるときも、

「私、行っていいの?・・・ホントにいいの?」

と周囲をキョロキョロ見渡して、何か(誰か)に許可を求めるような感覚。

 

もちろん周囲には誰もいない。

行っちゃダメ!という人もいない。

 

そうか、私が勝手に制限してるんだ・・・

自分で自分に許可を出せばいいだけなんだ・・・

 

と、ようやく気づいて、全身で幸せを味わってきた日。

 

 

帰り際にもらった、来年のツアー決定のチラシ。

見てるだけで顔がほころぶよ。

 

「行っていいの?」

と許可を求める私は、もういない。

 

あれ?ホントに私、今まで何してたんだろう・・・?

 

 

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