その後も、お相撲関係のニュースが続いています。
暴行事件そのものよりも、現在の私の興味は、貴乃花親方の心の内。
お相撲にそんなに興味のない私でも、若貴時代の全盛期(当時はホントに、キラキラしてました)を知っているだけに、現在の貴乃花親方にはちょっと違和感があります。
でも貴乃花親方には大事にしたい『大相撲道』があって、その信念に沿った行動をしているんだなと思うんですね。
理想とする相撲のかたち、横綱としての勝ち方や、環境としての協会の在り方など。
一般とはかけ離れた閉じた世界ではなく、もっと開かれたものに変えたい!
という変革者のマインドが感じられて、応援したいなという気持ちもあるんですよ、私。(あれ?お相撲、興味ないんだけどな・・・)
「日本人は、何でも『道』にする」
って、何かのCMにありましたよね。わりと最近も見たような・・・?
ずいぶん前に、漫画「美味しんぼ」の中でも、そんなエピソード(たしか野球の話?)を読んだ記憶があります。
エンターテインメント性を大切にするアメリカ人の考え方に対して、日本人はそこに精神性を持ち込んで美しい『型』を作り次世代にその精神を継承する、みたいな。
なんか、うまく説明できなくてすみません・・・・・・(^_^;)
身近なところでは、書道とか、茶道や華道、
スポーツの分野では、柔道や剣道、合気道、弓道など・・・
国際試合での『JUDO』と柔道、これイコールではないなって感覚があります。
柔道やったことないけど、そこはちょっと違う、別ものって感覚。
日本の『~~道』には、「礼に始まり礼に終わる」精神が共通であるような気がするんです。
じゃ、その『礼』は何のためか?っていうと、
相手に対する思いやり
相手を尊重するという想い
相手を尊重し、同時に自分自身も尊重する
それがある種の『型』を生みだし、
『型の美しさ』を同時に追求し、
それが発展して『道』になる
だから、『~~道』はただの決まりごとではなく、『信念』なんだろうなあと。
信念だとしたら、そりゃ大事にするでしょ、親方!
とは思うのですが・・・。
この『信念』に、「正しいか正しくないか」を持ち込むと、たぶん厄介になるんだろうな、と。
「自分の信念は正しい」にすると、
「それ以外は正しくない」になりかねない。
「自分の信念こそ正しい」になると、
「自分と違う信念は正しくない」になってしまう。
人の信念は、人の数だけ存在するでしょうし、
『大相撲道』という信念は、『相撲部屋』の数だけ存在するんだと思います。
今の貴乃花親方は、何か違うところで戦っている、違うものと戦っている、
ような気がしてなりません。
『~~道』の精神の根本が『相手と自分の尊重』だとしたら、
自分の『道』も誰かの『道』も、それぞれに大事。それぞれにいい。
そんな感覚が、私は好きだなあ・・・と、一連の騒動からあらためて思うのでした。
とりあえず、
「正しいか正しくないか」のジャッジをやめてみる
それだけで、心がラクになるし、自由になると思う。
大好きな金子みすゞさんの詩の中の
「みんな違って、みんないい」が、私の『道』かもしれないなあ。