「声が出なくなるんです・・・」
前回の続きです。
ビリーフリセット・カウンセリング講座での一幕。
カウンセリングのデモセッションは、今困っていること、解決したいと思っていることを伝えることからスタートしました。
あり得ないことにチャレンジしてる割には、なぜか不思議な安心感。
このままカウンセラーのTちゃん(同じ受講生)に任せていれば大丈夫。
Tちゃんの向こうには師匠のあやさんがいるし、周りには仲間もいる。
だから委ねていれば大丈夫・・・
そんな感覚で進んでいきました。
身近な人たちは知っていますが、私は電話に出るとき、よく声が出なくなります。
まるで「のど」にシャッターが降りたみたいに声が出なくなる、
という話をしていたら、
「のど」ではなく胸の辺りに何かがいっぱい詰まってる、それもぎゅうぎゅうに詰まってる・・・
という感覚に気がつきました。
そこで、胸のぎゅうぎゅうの詰まりは何を言いたいのか、何を訴えているのか、を探っていったんです。すると・・・
出てきました、でかいやつが。
悲しいし寂しい、
でもそれよりも、悔しい。
とにかく、悔しい!
悔しい!
悔しい!!!
ないがしろにされた、居ないことにされた・・・
私と母の存在をないことにされた、という悔しさと怒り。
悔しさの矛先は、父でした。
とはいえ、父の記憶はほとんどありません。子どもの頃に数回会ったきりで、親戚のおじさんより遠い存在。
そして母の記憶は全くありません。母は私を産んでその日のうちに逝ってしまいました。赤ちゃんだった私は、父と父の実家から「うちでは育てられないから施設へ。」と母の実家へ帰され、亡くなった母の姉が私を養女にしてくれました。
物心ついた頃から全てを聞かされていたので、私にはそれが普通で、「そういうものだ」という感覚でした。
別にたいしたことじゃない
私はなんとも思ってない
今から振り返ると、寂しさや悲しさを感じなくてすむように、心にフタをしてしまったんでしょう。実際、当時の私は、感情をあまり出さない子どもでした。
子どもらしくない、可愛げがない、冷めた子
よくそんな風に言われました。
父はその後再婚し、後妻さんとの間に子どもも産まれました。
父の家庭とは親戚づきあいもなかったものの、父は何回か私に会いに来てくれました。でもそれは後妻さんには内緒で、だったようです。
後妻さんは私の存在を好ましく思っていないというのは、子どもの私の耳にもチラホラと聞こえてきていました。母の13回忌を後妻さんに気づかれないように行うはずがバレてしまい・・・(そりゃバレるでしょ、田舎だし)
13回忌の後、父の家庭では一騒動あったらしいという話と、今後はもう母の法要は行わないということと、私に「父の家の敷居をまたがないように」との一方的な通告をされ、それ以来ぷっつりと縁が切れたのでした。
私を育ててくれていた母や親戚たちは、このことに怒っていましたが、私自身はとことん冷めていました。
別に、私、関係ないから
心にフタをして気持ちを感じなくするのは、この頃の私には、もう得意中の得意。
でもフタをされて行き場のない「小さなわたし」の気持ちは、決して消えることはなく、腐敗してガスが溜まるように、いろんな感情が蓄積されていきました。
みんなが見守る中、デモセッションで、抑えてきた感情が顔を出し・・・
「私のこと、捨ててっちゃって、お父さん、嫌い!」
「会いに来ないなんて、ひどいよ!」
「お母さんのことも無視して、お母さんがかわいそう」
そして怒りの対象は父だけでなく、後妻さんと子どもに対してもでした。
「私の方が先だもん!私が先に生まれたのに!」
「私のお母さんの方が先だもん!」
「あの人たち、後から来たくせに、お父さん独り占めしてずるい!」
「あっちの家庭だけ普通のおうちでずるいよ!私だってほしかった」
「絶対、私の方が幸せになってやる!」
「幸せになった姿をいつか見せつけてやる!」
「見せつけて、復讐してやる!」
最初は小さな「寂しい」「もっとかまって」「愛してほしい」という気持ちだったのかもしれません。長い時間ずっと封印してきたことで怒りや憎しみが加わり、心は複雑化していくんですね。
私の「怒り」「悔しさ」は父や父の家庭だけでなく、私自身にも向いていました。
「なぜ言わないんだ!」
「どうしていつも黙ってるんだ!」
「無視しないで!ここにいるのに!」
周囲から嫌われないように、
迷惑をかけないように、
摩擦をおこさないように、
おとなしく良い子にしていよう。
そうすればここに置いてもらえる。
でなければ、今度こそ独りぼっちになってしまう・・・
無意識のうちに、自分の気持ちはできるだけ言わないように、なるべく感じないようにと、そんな生き方が私には当たり前になっていました。
存在を居ないことにされて悔しい・・・
そんな「小さなわたし」の気持ちは、父だけでなく、
私自身にまで「無いことにされてしまった」んですね。
声が出なくなる症状は、私自身への抗議の声、だったんだ、
ごめんね、ずっと無視してきて。
50年以上溜まっていた想いが、ようやく外に出てきました。
「怒り」は「二次感情」とよく言われます。「怒り」のもっと深いところに、「本当の気持ち」が眠っています。
だから怒りを先に出さないと、本音も出てこないんですね。
セッションはここで終わらず、本当の気持ちを誰かに伝えるところへと進んでいきました。
続く。